研究内容
全タンパク質構造プロテオームへの網羅的分子ドッキング計算による薬剤結合標的タンパク質発見"Binding Proteomics解析"
Binding Proteomics解析
化学物質の毒性メカニズムを、標的タンパク質から解き明かす
毒性学は、医薬品、化粧品・生活関連化学物質、天然毒、農薬、環境汚染物質など、さまざまな化学物質が生体に及ぼす有害影響を明らかにし、安全性評価へつなげる学問です。
化学物質によって生じる臓器障害や生体応答は、動物実験や培養細胞試験、病理組織学的解析、オミクス解析などにより捉えることができます。一方で、その化学物質が生体内のどのタンパク質に作用し、どのような分子機序を介して毒性を引き起こすのかを明らかにすることは、依然として大きな課題です。
ヒトや実験動物など哺乳類は、2万種類を超えるタンパク質を有しています。この膨大な候補の中から、ある化学物質が結合し得る標的タンパク質を網羅的に実験のみで探索することは、時間的・技術的・費用的に容易ではありません。特に、既知の薬理標的を持たない環境汚染物質や、予期せぬ有害事象を引き起こした化学物質では、毒性標的の探索そのものが作用機序解明の出発点となります。
プベルル酸による腎障害を例とした、毒性標的探索の必要性
近年、紅麹関連製品による健康被害事例では、腎障害との関連が疑われる化合物としてプベルル酸が注目されました。しかし、プベルル酸がどのタンパク質に作用し、どのような分子機序を介して腎障害に関与し得るのかについては、十分な知見がありませんでした。
このように、毒性影響が社会的に問題となった化学物質であっても、標的タンパク質や作用機序が不明なままであることは少なくありません。毒性標的候補を迅速に絞り込み、実験的検証へつなげる新たな解析基盤が求められています。
Binding Proteomics解析とは
当研究室では、AlphaFold2により予測されたタンパク質立体構造群を活用し、目的とする化学物質について、生物種が有する全タンパク質の立体構造=構造プロテオームを対象に網羅的な分子ドッキングシミュレーションを実施する解析基盤を開発しました。
本解析では、ヒトやマウスなどの生物種について、AlphaFold2 Protein Strcture Databaseに収載されている各生物種の2万種類を超える全タンパク質構造に対する化学物質の結合可能性を計算し、結合標的となり得るタンパク質候補を順位付けします。
さらに、上位に抽出されたタンパク質群に対して機能解析やエンリッチメント解析を行うことで、化学物質によって影響を受け得る生物学的経路や毒性機序仮説を探索します。
私たちは、このような化学物質の結合標的候補をプロテオーム規模で探索する解析概念をBinding Proteomicsと位置付けています。
Binding Proteomics解析の特徴
- 網羅性:単一の既知標的に限定せず、構造プロテオーム全体から候補標的を探索します。
- 種横断性:ヒト、実験動物に加え野生動物や微生物まで、構造情報を整備できる多様な生物種に展開できます。
- 仮説生成性:毒性機序が不明な化学物質について、実験的に検証すべき標的候補や関連経路を提示します。
- 予測毒性学への応用性:医薬品候補の副作用標的探索、環境汚染物質の作用機序解析、野生動物における感受性評価などへの応用が期待されます。
なお、分子ドッキングにより得られるスコアは、あくまで構造情報に基づく理論的な結合可能性の指標であり、実際の毒性発現や生理学的影響を直接証明するものではありません。
本解析は、毒性機序解明に向けて、実験的検証を行うべき候補標的を効率的に抽出するための探索的基盤です。
プベルル酸を対象とした解析により腎毒性機序の候補を提示
本手法の有用性を検証するため、当研究室では、重篤な腎障害への関与が疑われたプベルル酸を対象として、ヒトおよびマウスのAlphaFold2予測構造プロテオームに対する網羅的分子ドッキング解析を実施しました。
その結果、ヒトおよびマウスの双方において、ナトリウム/ミオイノシトール共輸送体2(SLC5A11)が高い結合可能性を示す標的候補として抽出されました。SLC5A11は腎臓におけるミオイノシトール取り込みによる高浸透圧ストレスへの防御機構に関連するタンパク質であることから、プベルル酸による腎障害の機序として、腎臓の浸透圧調節機構への影響が関与する可能性を提示しました。
本研究成果は、査読付き国際科学雑誌 The Journal of Toxicological Sciences に原著論文として掲載されました。
原著論文
Comprehensive molecular docking on the AlphaFold-predicted protein structure proteome: identifying target protein candidates for puberulic acid
Teppei Hayama, Rin Sugawara, Ryo Kamata, Masakazu Sekijima, Kazuki Takeda
The Journal of Toxicological Sciences, 50(7), 309–324, 2025.
論文リンク
https://doi.org/10.2131/jts.50.309
解析パイプラインの公開
本研究で開発した解析パイプライン reAlldock は、GitHub上で公開しています。GPUを搭載した計算環境に導入することで、AlphaFold Databaseから対象生物種のタンパク質構造を取得し、目的化学物質について構造プロテオーム規模の分子ドッキング解析を実施できます。
GitHub:reAlldock
https://github.com/toxtoxcat/reAlldock
共同研究・受託研究について
Binding Proteomics解析は、毒性機序が不明な化学物質の標的候補探索をはじめ、医薬品候補化合物の副作用標的解析、環境汚染物質の作用機序推定、動物種間の感受性差評価などへの応用が期待されます。既に国内外の諸大学をはじめ、民間企業からの受託解析の実績もあります。
当研究室では、本手法を活用した共同研究・受託研究のご相談を受け付けています。
想定される研究相談例
- 新規化合物または既知化学物質の結合標的候補探索
- 医薬品候補化合物の潜在的な副作用標的の予測
- 環境汚染物質や天然毒の毒性機序仮説の構築
- ヒト・実験動物・野生動物間の標的結合性比較
- 分子ドッキング、分子動力学シミュレーション、エンリッチメント解析を組み合わせた機序解析
お問い合わせ先
北里大学獣医学部 毒性学研究室
武田 一貴
takeda{@}vmas.kitasato-u.ac.jp
Research Highlight
Binding Proteomics解析に関する研究成果は、当研究室の学生による学会発表としても高く評価されています。

菅原 琳さん(当時学部5年生)
第7回日本毒性学会医薬品毒性機序研究会(2025年1月)において、解析基盤の構築および評価に関する研究成果を発表し、優秀発表賞を受賞しました!
羽山 哲平さん(博士後期課程1年)
- 第4回環境化学物質合同大会(2025年)において、プベルル酸を対象としたBinding Proteomics解析の研究成果を発表し、American Chemical Society Awardを受賞しました。
- 令和7年度 内外環境応答・代謝酵素研究会において、Binding Proteomics解析に関する研究成果を発表し、優秀発表賞受賞者として選出されました。
2026年3月には、武田一貴講師が米国毒性学会(Society of Toxicology; SOT)第65回年会のGlobal Session “Structure-Based Toxicology in the AlphaFold Era: Emerging Opportunities and Unmet Challenges” において、Binding Proteomics解析の毒性機序解明および動物種差リスク評価への展開について招待講演を行いました。
講演題目:
Binding-Proteomics in the AlphaFold Era: Scalable Proteome-Wide Docking for Mechanistic Toxicology and Cross-Species Risk Assessment